草むしりをしながら考えたこと
今朝、気がついたんですけど、トップページの画面、変わったんですね。メンテナンスもあったみたいで…最近は「お知らせ」を見ていませんでした。でも、ここのところ、「サーバへのアクセスが大変混み合っています」のメッセージが頻繁に出ていて、「ちょっと調子悪いかな~」とは思っていたんですよね。でも、もう一度やり直すと、すぐにつながるので、不思議な感じでした。
ここのところ、お天気が続いているので、主人は、種まきの終わった畑を気にしています。
主人:「わかったんだよ」
私:「何が?」
主人:「種まきの後は、水と温度が重要なんだよ。空豆の芽が出なかったのは、温度のせいで、暖かくなったら出て来ただろ?これまで、ニンジンが上手に発芽しなかったのは、水が足りなかったからだな。」
私:「でもさ、週末農業の人は、みんなそうなんじゃないの?」
主人:「今回植えたのは、菜の花とかミニ大根とか、お前の好きなのばっかりだぞ。水が無いと、芽が出ないぞ~」
私:「…」
主人:「朝、水やってくれよな」
私:「水遣りは、夕方の方がいいって言う噂だけど」
主人:「今は、暗くなるのが早いからな。お前は、暗くなってるのに、気がつかないでパソコン『やっちゃってる』だろ?」
私:「やっちゃってる、って…」
主人:「だから、朝、やってくれ」
私:「…」
おととい、このように言われたので、今日は、午前中、畑に水遣りに行って来ました。私の好物たち、芽が出ないと困りますからね~。
我が家は、2箇所、畑を借りているのですが、片方は、水はけが悪いところがあって、結構湿っていました。主人は、ここにはニンニクを植えています。三つ葉なんかも、朝露のおかげか、生き生きしていました。
でも、その隣、種を撒いたところは、やっぱり、乾いてましたね~。私の好きなものが植わっているので、一生懸命、水をやりました。
その後、もう一方の畑(とは言っても、すぐ隣ですが)にも水をやって、庭に戻ってきたら、雑草が目に付いたので、そのまま草むしりに突入-長靴を履いていたので、「この際、やっちゃおう」と思ったのです。実は、この間から気になってはいたのですが、PCのトラブルもあって、それどころではなかったのです。
家の裏の草をむしっていると、シダ類が目に付きました。「そう言えば、昔、理科で習ったな~。地衣類にシダ類・コケ類…」葉っぱの裏には胞子がついていて、「あっ、胞子」-教科書の図が思い出されます。
最近、大河ドラマの義経なんかを見ていても思うのですが、学校で習っているときって、何って言うか、「体感」してない感じだったんだな、と思います。「鎌倉幕府」なんて習っていても、九州に居た私には、鎌倉がどんなところで、京都とどれくらい離れているかなんて、いくら地図を見ても、実感できてなかったんですよね。
それと同じで、いくら、習っても、実際に見てないことって、なかなか「体感」しづらいですよね。シダ類、胞子、なんて教わっても、「ふ~ん」と言う感じでしたが、今朝、草むしりをしながら、「これが、噂の(?)胞子なのか~。ちゃんと、葉っぱの裏についてるのね~」なんて、しみじみしてしまいました。
近頃では、鶏や昆虫の絵を描かせると、足がちゃんと描けない子供がいるとか。見たことないんでしょうね、きっと。昆虫に至っては、デパートで買うものだと思っていたり…これは、かなり「危険」なことだと思います。
ここのところ、小学校でも英語を、とか、そう言う声が出ているみたいで、もちろん、英語が話せるようになるのは素敵なことだと思うけど、でも、そんなことより、もっと大事なことがあるんじゃないかな~。英語より、まず、日本語をきちんと理解できることのほうが重要だと思うんですけど(国内の場合)。
それに、PCだって、もちろん、小さい頃から馴染んでいれば、いいとは思うけど、でも、大人になってからでも出来ることですよね?子供の時には、「子供だから出来る・すべき」こと、「子供のときにしか出来ない」ことをしたほうがいいと思うんだけどな~。
私は、地方出身なので、子供の頃は、それはもうのんびりしたもので、勉強だって、そんなにしてなかった気がします。TVで、塾でひとりでお弁当、みたいなCMがありますけど、信じられないです。もっとも、今は、地方だって、違って来ているのかも知れないし、「時代が違う」と言えば、それまでですが。
あと、「英才教育」って言うのも、大事かも知れませんが、みんながみんな、やる必要あるのかな~。第一、みんながやってたら、「英才」じゃなくなる気も。才能を伸ばす、と言うのは、もちろん、大事なことですけどね。
何て言うか、子供の頃は、いわゆる「しつけ」って言うか、「人に迷惑をかけない」とか、「思いやりの気持ち」とか、礼儀とか、そう言うことの方が大事で、そして、何より、「可愛がられて、愛されて育つ」と言うことが一番大事だと言う気がしています。そうすれば、大人になってから、しあわせになりやすいんじゃないのかな。
子供に「ゆとり」なんて、殊更に言うことも、逆に、どうなのかな、と言う気もします。子供だって、頑張らないといけないときって、やっぱりあると思うし。子供は「子供として」子供時代を過ごしていれば、それでいいんじゃないのかな~。
でも、一方で、やっぱり「知識」って言うのも大事で、子供の頃には良くわからなかったことでも、大人になってから「あっ、これってこう言うことだったんだ!」って気がつくことが出来るのも、知識あってこそ、ですしね。たとえ試験のために覚えたことでも、大人になってから、気がついたり、役に立ったりすることって、結構あると思います。「知は力」って、ほんとなんだな、って、最近、妙に「実感」しています。歳をとった、ってことなのかな~。
草むしりをしながら、こんなことを思ったりしました。やっぱり、秋だからでしょうか?少しは「文化的」な活動もしたいと思いました。